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2024-03-04

250.スポーツブッキング 広告規制①問題の所在

如何なる国・地域においても賭博行為を勧誘する広告に関しては慎重なスタンスを取ることが多い。
TVやラジオあるいはインターネット・SNS等を通じて不特定多数の潜在的顧客に賭博行為を勧誘することは、社会的弱者(未成年者や潜在的賭博依存症患者等を指す)をも対象としかねず、悪影響を与えかねないという判断があるからだ。
広告の頻度や量が多い場合、広告の時間帯や場所次第ではこの問題は社会的関心を呼ぶことになる。
例えばサッカー試合中のTVやLive Streamingでの絶え間ない広告の流れだ。
試合中にバナー広告を出したり、少しでも時間の余裕が生まれるとひっきりなしに広告を打ったりする。
スタジアム内の広告掲示板にも、選手のユニフォームの正面にもスポーツブック事業者のロゴがある。
実は試合の進行と共に、試合中の様々な試合の展開に関するProps賭博がスマフォ経由で提供されるわけで、サッカーを観戦しながら、選手や試合の次の展開をスマフォで賭けるようにうまく誘導するわけだ。
しかも熾烈な事業者間の広告競争がこの動きを加速してしまう。
サッカー試合は社会的弱者も自由に視聴できる時間帯に行われるわけで、露骨な賭け行為への誘導や、広告での呼びかけ、あるいは未成年に受ける著名なスポーツ選手を起用した誘導広告等が頻繁に流れるメデイアに対し、これではいくらなんでも過剰すぎるという批判の声が起こるのも当然の流れといえるかもしれない。
あるいは「リスクの無いスポーツブック」とか「無料賭け金提供」等現実から離れた甘い
誘い文句で賭博行為への自覚がない主体や未成年層を賭け行為へと誘いこみかねない行為は適切と言えるのかという批判もある。

物騒な表現になるが、かかる過剰な広告行為を“Predatory(略奪的な) marketing/advertising(マーケッテイング/広告)”等と呼称することがある。
あるいは“False(誤った), Deceptive(偽善的な), Misleading(ミスリーデイングな)Advertising(広告)”と呼称することもある。
公正さや適切性を逸脱する広告や顧客を騙していると受け取れかねない表現や内容の広告のことだ。
批判の声が高まってくると、何らかの規制の対象にすべきではないかという意見が強まってくるのは如何なる国でも同様の様だ。
かかる広告を規制すべきなのか、あるいは規制できるのかに関してはメデイアによる表現の自由等の問題も絡み微妙な側面も存在する。
広告はマーケッテイングの重要な手法の一つでもあり、本来かかる行為を規制の対象にすることはおかしいという議論があるからだ。
これには、あくまでも個別の事業者や業界団体が自ら自立的な倫理規範や広告規範を合意の下で設け、自主的に広告の内容を規制するという国もあれば、国の法令や規制機関による規則としてこれを明文の規範とし、公的機関がこれを監視・監督・規制するという国もある。
一般的に前者に関しては、市場が熾烈な競争環境にある場合、あまり効果を期待できない場合が多い。
規制を設けても違反行為に対する効果的な制裁が無い場合には、自主規制は意味が無いからである。
あるいは英国のように業界の資金拠出により構成された民間の自主規制機関が公的機関の大枠の監督の下で規範を構築し、かなり強い権限を保持して規範の執行を担保する等の場合もある。
一方後者に関しては、違反行為には罰則を伴うがゆえに、何がどこまで規制の対象になるのかに関し、その判断基準が課題となることが多い。
規制機関が大きな裁量権を行使し、民の活動を押さえこむことは本来好ましくはない。
よって公的主体が法令や規則に基づき民間の広告活動を規制することはできれば避けるということが従来の主流となる考え方であった。
ところが、近年この考え方が後退し、未成年や弱者等の消費者を保護するという目的で制度や規則を設け、公的主体ないしは規制機関がこの分野に積極的に介在する事例が多くなりつつあるのが様々な先進国における現状になる。

賭博への誘引の広告宣伝露出度を低くすることが、果たして社会的弱者への悪影響を防止することに効果的となるか否かの明確な証拠は無い。
但し、英国や一部欧州諸国、オーストラリア等のスポーツブック先進国では、あまりにも行き過ぎた過剰な広告宣伝に対する市民の常識的・感情的な反発という側面が、広告活動の規制に繋がっていったという側面が存在する。
やはり、影響を受けやすい弱者や判断力が未だ身についていない未成年に対しては、過剰な広告は好ましくない影響を与えかねないとする判断が多勢の意見になる。
喫煙は身体に好ましくない影響を与えるため、その積極的な広告を禁止すべきとする意見に基づき業界による自粛や規制や規則が定められたりしたことが過去の先進諸国であったが、これと類似的な事象になるといえる。

一方我が国では、賭博行為でもある宝くじやTotoの宣伝に巨額な費用をかけ、TVやネット等を通じ、著名なタレント等を起用、「5億円、10億円が当たる!」等連呼する広告が、大型くじやTotoの販売等に際し為されることが日常的になってしまっている。
宝くじは「夢を売る行為」、「賭博ではない」とし、積極的な宣伝行為に何らの法的な規制は無いという理屈だ。
当たる確率は2000万分の一でしかないのに、あたかも当たるかもしれないという幻想を抱かせる広告を公的主体が頻繁に流すこと自体が適切な行為といえるのかどうかは甚だ疑問とするところだ。
これは明らかに射幸心を煽る内容の広告でしかない。
諸外国ではまず社会的に許されない広告行為が我が国では堂々とまかり通っており、かつ批判の声も無い。
日本の消費者団体はなぜかかる事実を無視するのであろうか。
広告会社もメデイア媒体もそれで金銭的に潤っているから、誰も何も言わず口を閉じているのであろうが、否定的なインパクトもありうることを精査した上で、その在り方を再考すべきであろう。

(美原 融)

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