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2022-04-04

151.IR:日本企業の投資行動 ⑯SPCと代表企業

代表企業とは、都道府県等が招致する公募において応札者が複数の企業グループにより構成される場合、その中核となり投資を担い、企業群を代表する責任を担う企業のことをいう。
提案を構成する企業群の各々の構成企業が出資を担うという単純構図では、出資額が相対的に大きく、企業グループをリードする役割期待がある。
これら企業群が出資し、SPCを構築して、このSPCが事業会社になるという構図になる。
都道府県等が招聘する事業投資公募において、民間企業がかかるSPCを通じた事業の実施や親会社にとりオフバランスとなるSPCによるプロジェクトファイナンスの慣行が根付いたのは、PFI制度創設以降で我が国ではここ二十年程度の経験でしかない。
もっともこのPFIないしは類似的な投資事業が構図として単純なのは、投資事業を投資子会社・親会社を包括する連結納税やグループ通算制度等の対象にせず、あくまでも投資事業毎に親会社が直接SPCに出資するという構図が定着しているからだ。

IR事業の場合、そう単純でなくなるのは、外資企業が出資する場合、多層的な投資構図で海外投資を担うことが一般化しており、表にでてくる企業は名目的な会社であることが多いことにある。
本国における所得課税をできる限り軽減し、配当収益もタックスヘーブンに留め、投資事業の持ち株会社が出資するという形式をとることも多い。
欧州軽課税国と中南米のタックスヘーブンを複雑に嚙合わせる投資構図等も日常茶飯事で珍しいことではない。
こうなってくると単純にSPCに出資する企業が親会社という考え方では誰が責任を担う主体なのかがわからなくなってくる。
企業の名前は本国親会社の名前を付けていても、投資統括会社では実態が無く、本家本元の親会社が実質的な投資主体としての責任を取らなければ意味がないからである。
昔米国の大企業と第三国における共同出資のプロジェクトを何度も経験したことがあるが、当初一緒に事業提案をした親会社は実際に案件が実現する段階になると消えてしまい、軽課税国にあるその投資子会社が投資を担うということが常識的に起こった。
これでは誰と一緒に投資をし、責任を分担し合い、その相手がきちんと契約上の義務を履行するか否かが解らなくなる。
かかる事態を避けるために、米国大企業とベンチャーを担う場合には最初に如何なる投資構図となり、親会社同士が直接責任をどう取り合う仕組みとするかの原則を決めてから案件をスタートさせるということを米国の法律事務所弁護士から徹底的に教えられたことがある。
多層的な投資構図となることが想定される場合、途中の段階で他人資本を入れたり、投資確約を薄めたりして、知らぬ間に協働パートナーが案件から実質的に退出してしまうということも起こりかねないからだ。

現在残っている三つの案件はいずれも外資企業中心の企業グループとなるが、全てが我が国に企業としての投資ビークルを保持しており、この企業が提案企業・出資企業となり、かつ代表企業として、SPCに出資するという形態をとる模様でもある。
この場合、投資ビーク自体は一種の案件開発のための過少資本のパイロット企業にしかすぎず、親会社による追加投資、第三者による投融資等の手段により資本金を調達しなければ、SPCへの出資はできない。
本家本元の親会社が直接追加出資するなら問題はないが、中間的な投資ビークルに第三者たるPrivate Equityやファンド等が出資参画する場合、当初の親会社の責任は薄まり、かつ出資の割合次第では誰が主たる親会社なのか解らなくなってしまう可能性が高くなる。

ところで都道府県等の公募要綱等を見る限り、民間事業者が複層的な投資構図で投資行為を担うことを想定していない。
投資行為が如何なる形で成されるかに関しては言及せず、単純に提案者を複数企業のコンソーシアムとしてとらえ、その構成員と代表企業の責任を明らかにすることのみを要請している。
この結果、例え応札の中で外資大企業の投資ビークルが代表者として名を連ねてあっても、実際の出資行為は多層的な投資子会社経由となってしまう可能性が高い。
この場合、複層的な投資構図の中であらゆる資金調達が可能でもあり、当初の提案企業ではない主体が資金を拠出したり、資金を調達したりすること、あるいは退出したりすることが可能になり、法的な責任主体が誰なのか、何処まで責任を遡及できるのかが解り難くなってしまう。
かかる状況となることを避けるために、代表企業の出資者(親会社)を明らかにし、出資の多層的な在り方とは関係なく、直接親会社としての責任を遡及する仕組みを考え、これを基本協定の枠組みや親会社による履行保証によりしっかりと定義しおくことが通常行われる。
誰がどう資金を拠出するのかを確認しなければ投資家の実態は把握できない。
出資金は集めれば良いというものではなく、資金拠出の在り方次第では事業のガバナンスが歪む可能性もある。
代表企業の出資者が投資ビークルで、本家本元の親会社のコミットメントのレベルが薄められるとしたならば、そのブランド価値も事業への参画意欲もかなり削減して考えざるを得ない。
実質的な出資者は他にいるかもしれないからだ。
かつ構図が複層的になり、複雑になればなるほど、当該主体の廉潔性のチェックを都道府県等が十分にできるか否かには疑問がついてしまう。

リスクや負担を軽減したり、分散したりすることを代表企業が採用した場合、あるいはかかる可能性を許容する仕組みである場合、全体の仕組みを脆弱なものにしてしまう懸念が残る。
事業をしっかり支えてリスクを管理しようとする動機付けが機能しにくくなり、意思決定に時間がかかり、かつ様々な利害関係者に起因する恣意的な判断に巻き込まれるリスクも高くなってしまうからである。

(美原 融)

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