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2021-06-14

98.意見公募手続き(パブリックコメント)の在り方

行政手続法第35条は「命令等制定機関は、命令等を定めようとする場合には、当該命令等の案及びこれに関連する資料をあらかじめ公示し意見の提出先及び意見の提出のための期間を定めて広く一般の意見を求めなければならない」ことを規定する。
パブコメとか意見公募と呼ばれる行政手続きで、法律・政令・規則・命令・基本方針(案)等の制定に際し、30日を期間とし、国や地方自治体等の行政機関が一般国民から広く意見を募るという手順である。
現状では電子化され、一定のフォーマットに基づき、反対、修正、追加、削除等の意見を国や地方自治体に電子メールで提出することになる。
制度本来の目的は、広く意見を募ることにより、適切な意見や指摘を積極的に取り込み、内容や表現を修正したり、追加したりして、民意を反映したより良い内容のものにすることにある。
かつ行政府の考え・政策の在り方を広く情報公開し、国民に知らしめるという狙いもあろう。
利害関係者が多岐に亘る法律・政令・規則案や、具体的な民の行動に直結する法案や規則等の場合、あるいは明確に反対運動が生じている法令案等の場合には、個人、法人、賛成業界団体、反対派市民団体、あるいは弁護士・会計士等の専門集団等が集中的に意見を寄せることがある。
もっとも、情報公開のレベルや対応の丁寧さは省庁、自治体によっても異なる。
概要のみ記述し、果たして真面目に内容を検討したのか疑われるものもあれば、数百項目以上の質問等に丁寧に答え、採用の可否、その判断根拠を明確に記述しているものもある。
法令や規則・命令等の場合は政策や他の法令等との整合性が優先されるため、そもそも背景や経緯が解からないと的外れの意見になる事が多い。
行政府と国民の間に知識や理解のギャップがある場合、しっかりとした意見は確かに期待できない。
この場合、質問・確認要請等も数は多くならないことが多い。
これに対し、自治体がやる場合の実施方針案とか募集要項案等は、政策というよりもかなり実務に近いレベルの領域になり、実務家から様々な質問が多くだされることが通例である。
もっともこれらパブコメ回答は事業や事業者選定に絡む場合、後刻契約書の一部を構成しかねないため、こうなると、回答するだけでも弁護士等の協力も必要で骨が折れる。
行政側からみるとこれらの手順をうまく活用し、意図的に民間の許容度をチェックしてみたり、質問に対する回答を公開することで追加的な解説や解釈を試みたりすることがある。
これにより、情報のギャップを埋め、国民の理解を少しでも得ることに資することができる。
この意味では実務的な性格が強い場合の行政文書のパブコメによる意見、これに対する回答・修正等は、官民双方の努力により確かにうまく機能している側面は存在する。

行政手続きを担う公的主体にとってみれば、案が固まった段階で、30日のパブコメに付すというのは既にビルトインされた行政手続きでもあり、形式的に淡々とやるという感が無いわけでもない。
寄せられる意見の内容ではなく、形式的にパブコメという手順を踏むことがより重要なわけである。
こうなると意見もへったくれもない。
単純に手続きを踏み、意見を「聞いておく」程度の対応になり、手順を経ることが説明責任を果たすことに繋がり、やったという事実があればいいということになる。
手順を踏むことで「やってる感」をもたせるわけだ。
内容に関しては、例えしっかりとした意見がなされていても、修正する気がもともとないと共に、議論をする余地も、時間もない以上、まともな対応は一切しないということになる。
国民の関心が薄い案件になると確実にかかる兆候が現れてしまうのが残念ながらこの国の実態であることを認識する必要がある。

確かに行政の実務担当者からすれば、苦労して作成した成案に文句をつけられ、これにいちいち答えるのもたまらないという心情はわからないわけでもない。
もし、意見があれば、その対応に追われ、余計な仕事が増えることになるからである。
尚、意見を求めたからには、その結果を情報公開する必要がある。
これにも様々なやり方がある。
数が少なければ全てを情報公開するが、多い場合、代表的意見や類似的意見を纏めることもある。
個別の見解や質問に対し、丁寧に説明する場合は稀で、木を鼻でくくったような形式論で真面な返事もせず、無視することも多々ある。
又、情報公開のタイミングを意図的に遅らせ、世の中の関心が無くなったころに纏めて公表するなどというテクニックを駆使して、わざと議論の対象にさせにくくするなどの演出もよく使われる手法だ。
尚、特定の政治団体が、意図的に類似的な質問や意見を大量にかつ組織的に出すことがある。
あきらかに行政府に対する一種の嫌がらせなのだが、例え全く同じ文章の意見でも、反対意見が多く寄せられたというプロパガンダに使われるわけである。
こういう事態になると、確かに国民の意見もへったくれもなくなり、行政府にとり「聞いておく」だけの結末になることは見えている。

広く国民の意見を聞くということは、良い政策でもあるのだが、その意見を反映できにくい仕組みや慣行がある場合、形式化、形骸化してしまう。
意見を聞く、意見を反映するではなく、形式的な手順としてやっておくだけに終始してしまうからだ。
民の立場からすれば、きちんと意見したのに無視されたのでは、一個人としては憤懣ものだが、日本の行政の仕組みというのはそんなものなのであろう。
残念ながらここにはオープンな議論をして、物事を決めていくという姿勢はない。
尚、省庁内部の審議・議論を経てできた法案・政令案、基本方針案等の場合には、既にああいえばこういうという具合にあらゆる意見や修正案に対する反論は既に内々検討・準備済みであることも多い。
国民一般の意見等大した内容はでてこないと判断しているに違いないと邪推するのはうがった見方であろうか。

(美原 融)

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