2021-03-24
75.カジノ行為:④ スポーツブッキングは認められるのか?
スポーツの勝ち負けやひいきのスポーツチームが勝つか負けるかを予想することは楽しい。
相撲の様に1対1のゲームもあれば、野球やサッカーの様にチーム毎のゲームもある。
かつ競技の在り方にも、勝ち抜き戦もあれば総当たり戦もある。
このスポーツ競技の勝ち負けに賭けるという行為(これを一般的にはスポーツブッキングと呼称する)は、賭博行為で本来は違法なのだが、一時の遊興に当たる場合、即ち軽微なAd Hocに行われる賭け行為は刑法上の例外規定として罪には問われない。
もっとも高校野球トトカルチョを一口100円の賭け金で、職場でやれば、確実に盛況を呼びそうだが、これは一時の遊興とはいえまい。
派手にやれば、違法行為としてお咎めを受けるだけだ。
スポーツ競技を賭け事の対象にすることは、庶民の間では楽しい娯楽として人気は高い。
サッカー、競馬、競輪、競艇、オートレース等も基本的はスポーツ競技でもあり、わが国では、これら限定的なスポーツ種のみ公営競技として、公的主体が主催者となり賭博行為の対象とすることが法律により認められている。
欧州諸国ではプロサッカーはもっともポピュラーな賭博の対象になっている。
米国人もスポーツを対象にした賭け事には熱中する。
米国では競馬、グレイハウンド・ジャイアライ競技等はどの州でも昔から認められているが、1992年の連邦プロアマスポーツ保護法により広範囲なスポーツに対する賭け事は歴史的経緯によりネバダ州、オレゴン州、モンタナ州、デラウエア州のみしか認められてこなかった。
この一般禁止規定は2018年5月に連邦司法省が連邦憲法違反という解釈を示し、以後各州が任意にスポーツに関する賭け事を州法により認めてもよいということになっている。
これに伴い、.全米各州で段階的に法的措置がなされつつあり、スポーツに関する賭け事が一大ブームになりつつある。
ゲーム賭博の対象は基本的には様々なスポーツ競技で例えば、ゴルフ、フットボール、バスケットボール、ホッケー、サッカー、ボクシング等多岐に亘る。
賭け方もスポーツ毎に異なる。
これらスポーツブッキングは現状ではカジノ事業者が認可を得て、自らの施設内に一定区画を設け、顧客が大ビデオ画面で実際の競技を楽しみながら、賭け事ができるという仕組みになっていることが多い。
これをもって、スポーツブッキングもカジノの賭け事の一種、日本でも認められるべきという意見があるのだが、これは法律を読み違えている。
カジノはあらゆる賭博行為を認める場として定義されているわけではないからだ。
我が国ではサッカー、競馬、競輪、競艇等は個別の法律により公的主体が独占する賭博行為として認められているが、これもスポーツの一つと考えると、単純にスポーツというくくりで賭博行為を定義することは矛盾してしまう。
プロスポーツとしての日本人が好む野球、相撲、サッカー等は賭け事の対象としては人気を博すであろうが、もしこれを賭け事の対象にしようとすると様々な制度的・社会的・文化的・実務的課題を抱える。
例えば、
* どういう仕組みの賭け事にするかに関しては様々な選択肢がある。
単純な勝ち負けで決める固定オッヅ、あるいは公営競技と類似的なパリミュチュエル賭博等の手法もあれば勝ち負けの結果ではなく、一定の範囲で賭けの正確度に賭ける(これをスプレッドベッテイングという)等があり、これにより制度や規制の在り方もかなり異なってくる。
スポーツ毎に賭けの手法を工夫する必要があるのだが、我が国で許容できるものあれば、できそうもない仕組みもありうる。
* プロスポーツを対象にするならば、八百長や不正行為を防ぐ何等かの仕組みが必要になる。
ゲームに参加している当事者が外部の者とつるんで八百長をした場合、賭博行為自体が成立しなくなる。
相撲やプロ野球でも過去疑われる事象があったが、スポーツ関連主体とその当事者に清廉潔癖性を要求する仕組みが全ての前提にならざるを得ない。
* 欧米ではプロスポーツ競技が賭け事の対象になるならば、当該競技団体も賭け事の一部収益の分配を受ける権利があるという議論がある。
確かにプロスポーツも興行で、この結果を利用する限り、収益の一部をかかるスポーツ団体に交付するという仕組みはおかしな考えではない。
逆に彼らの積極的支援を得られる可能性もある。
* 税率やコミッションが高ければ外部で反社勢力等がノミ行為を実行することはありうる。
スポーツを単純に賭け事に対象にできると庶民が判断した場合、外部でノミ行為が発生しやすくなる。
これに対しては厳格な規制や取り締まりの強化が必要で、かつ暴力団組織や反社勢力が関与することを防ぐ効果的な仕組みも必要だ。
* 高校野球や大学野球、駅伝等アマチュア団体のスポーツ競技等も人気を呼ぶに違いない。
もっともアマチュアスポーツを賭博の対象にすることに対する倫理的、社会的反発は極めて強いことが想定される。
かかることが認められれば賭博行為が社会に蔓延することを懸念する意見は我が国ではかなり強い。
この様に実務的に考えても単純に認めればいいという話ではなく、例え認めることを考えるにしても、この分野特有の制度的枠組みや規制の仕組み、実践の手法が必要なことが解かる。
そもそもなぜやらせるのか、認めることによる社会的な反発やインパクトにどう対処するのか、誰に、どうやらせるのかの議論が必要だ。
完璧に近い程の規制を前提としたカジノですら激しい政治的・社会的反発が生じるのが我が国の実態でもある。
ハードルはかなり高いことを認識する必要があろう。
残念ながら外国でもやっている世界の常識というロジックは通らないのだ。
(美原 融)