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2023-01-30

193.スポーツブッキング ㉗Product FeeないしはIntegrity Fee(4)

スポーツイベントやスポーツ試合を主催することは関連する団体・組織・選手にとり努力も時間も金も負担も必要だ。
プロ・スポーツの場合には、観戦入場料やTV放映権、広告料あるいは様々なファンサービスに対する対価や関連する収益事業等より、独自の力で必要な資金を確保できる。
一方、アマチュア・スポーツの場合には、教育機関の拠出金や政府・自治体による補助金、あるいはOB等による支援金・寄付金等が主たる収入源だ。
アマである以上、商業的活動はできにくいという事情もあり、参加個人や組織やチームの自己犠牲により成り立っているという側面が強い。
プロであれアマであれ、もしスポーツ団体・組織が担うスポーツ試合やイベントが外部で第三者により賭博行為(スポーツブッキング)の対象となる場合、試合の情報やデータを使い利益行為をしているわけだから、スポーツ団体・組織も何らかの金銭的メリットを受ける権利があると考えるのは当然かもしれない。
プロ・スポーツ団体・組織の場合は、本来スポーツ試合自体が興行でもあるため、話はしやすいし、対価次第ではスポーツブッキングの施行に賛意を示し、協力的たりうる可能性は高い。
一方、我が国ではアマチュア・スポーツ場合は、商業的行為とのリンケージを忌避する傾向が強く、単純な形でスポーツブッキングの対象にはできにくいし、賛同を得るためには結構な数の利害関係者との調整が必要となってしまう。
プロ・アマを問わず、この国でスポーツブッキングの施行を考える場合には利害関係者の合意形成という意味では、基本的にハードルは高い。

ではスポーツ団体・組織に対し、積極的なインセンテイブを付与するという意味で、我が国でも諸外国で試みられたProduct FeeないしはIntegrity Feeをスポーツブッキング事業者から直接スポーツ団体・組織に直接付与する制度的仕組みを構築することは可能であろうか。
対象が広く、多様なスポーツ種とするとおそらく収拾がつかなくなる。
スポーツ種固有の人気や団体・組織毎に人気は異なるためで、人気のあるスポーツ団体・組織のみが商業的に利するという考え方はおそらく日本では支持されにくいからだ。
対象が複数のスポーツ種に跨る場合、確実にこの問題は起こる。
市場における人気が需給を決め、対価の多寡を決めるという考え方は米国では問題にもならないのだが、日本では馴染みにくい。
おそらく配分の公平性がより重要な物事の判断基準になってしまうからだ。
かかる事情があるため我が国でスポーツブッキングを施行する場合には、競争環境を限定し、当初はスポーツ種をプロの団体、かつ限られたスポーツ種で対象を限定的に考えた方が、議論の範囲を狭くすることになり、より実現しやすい環境になる。

上記で見られる通り、我が国では、何らかの公目的に関わる事業の収益や納付金等の徴収・配分を考える場合、公的主体が専権を持ち、これが集中して益金を徴収し、公平な判断基準に基づき適切にこれを配分するというメカニズムの方が社会一般には受け入れられやすい考え方になる。
日本人は長期に亘り様々な社会生活の側面で、公的主体による補助金配分という過去の遺制に強くとらわれているため、スポーツ団体や組織が直接的に収益機会にチャレンジすることよりも、省庁傘下の公益法人や独立行政法人が金を集め、必要な組織に適宜配分するという考え方の方が慣れ親しんだ手法ということになるのかもしれない。
但し、こうなると昭和の時代の仕組みで、官庁の外部組織として資金配分権を持つ主体を抱え込むことになる。
過去の実態と官僚機構の行動規範を考えると、ここに利権と天下りが生じるリスクは高い。
IRの制度設計の場合に、国庫や自治体の一般財源に益金が直接支払われる仕組みを考えたのは、官庁組織(国土交通省やカジノ管理委員会)が納付金の配分に関する利権と天下り先を構築しかねなかったからである。
昔に戻して、再配分のメカニズムを設ける等という考えは時代錯誤でしかない。
スポーツブッキングの制度設計も時代を逆戻りにするような制度設計ではおそらく全体の仕組みは機能しなくなる。
もし、この旧来の日本的慣行を踏襲するとすれば、おそらく対象となるスポーツ種や賭け方の選択肢も、自由ではなく、法令・規則等で詳細を取り決めるという前提になる。
但しこの場合、何を賭け事の対象とし、如何なる賭け事をどう認めるのか、スポーツ団体・組織にとり如何なるリスクがあり、これにどう効果的に対処できるのかにつき、スポーツ団体・組織の意向を反映できにくくなるという難点がある。

賭け事の対象となる主体が一つか二つのプロ・スポーツ団体(リーグ)の試合である場合、スポーツブッキングがもたらす商業的なメリットと関連するリスクをスポーツリーグとスポーツブッキング事業者が分担しあうという考え方は、斬新的だがおかしな考えとも思えない。
プロスポーツリーグが抱えるリスクとは、八百長、不正、いかさま、ドーピング等のスポーツの廉潔性に対する脅威が増える可能性があるというリスクになる。
これらリスクは、必ずしもスポーツブッキングだけから生じるリスクではない。
但し、より積極的にこれら問題の防止に努める義務がスポーツリーグに課されることがスポーツブッキングを施行する前提となりうる。
この代償として、スポーツブッキングがもたらす収益の一定率を関連スポーツ団体が享受できうる仕組みであれば、プロ・スポーツ界としてもスポーツブッキングへの賛同が増えるに違いない。
勿論この場合、何を何処まで当事者間の交渉に委ねるのかなどは一定のガイドラインが必要になるかもしれない。
米国の様に何もせず市場に委ねるという考え方はおそらく日本ではうまく機能しないからだ。
収益の配分に関し、如何なる考えとアプローチを志向すべきかは制度設計において知恵の出しどころになるのかもしれない。

(美原 融)

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