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2025-10-13

333.ゲームと賭博②:賭博化するゲーム

ゲームに強くなるためには一定の習熟なりスキルを必要とする。
じっくり戦略や対応を考えながら時間をかけてやるゲームもあれば、スピード、手先の素早い動き、動体視力、感等が幅を効かすゲームも存在する。
勿論スキルだけではなく、僥倖の要素もあるのだが、スキルがあれば僥倖の要素も乗り越えられる可能性もあるというのが最近のゲームの在り方だ。
スキルが凌駕し、勝敗を決めるゲームは賭博とは言えないとする考えが世界的に共通の一般的な考えになる(例えば将棋や囲碁等だ。
正式な対戦試合に高い賞金があっても、これらを賭博と判断する人はいないだろう)。
ゲームの世界ではサービス提供に際し、消費者を保護するための規制は存在するが、ゲームの内容自体がスキルのゲームである場合には、特段の規制はなく、免許や認可等も不要で、何等かの形で公的機関が関与することもない。
その意味では提供する事業者にとり、如何なるゲームを設計し、提供するかの裁量性は大きい。
よって多種多様なゲームが日々開発されている。
今や様々なプラットフォームやSNSでゲームのカテゴリーを見るとかなりの数のアプリケーションがある。
アプリは有料も当然あるが、今や無料が主流で中に課金システムがあるものが多い。
対戦型ゲームは人気があるが、誰でも勝ち進み、より高いレベルのゲームを目指したいと思うものだ。
勝ち進むと様々な仮想アイテムを賞品として取得でき、これを入手すると更にゲームに強くなるというインセンテイブを与えるゲームも多い。
早く強くなりたいと思うプレーヤーにはこれらアイテムを有償で販売する課金システムが横のリンクされたサイトについている。
もっともこうなると自分対機械を前提とし、一人で遊ぶ分には問題ないが、不特定多数の複数のプレーヤーがインターネットのゲームに参加し、争うゲーム等では公平なゲームともいえなくなる。
お金さえかければ強くなれるからだ。
勝負に強くなれるアイテムは希少価値があり、これが高まると二次市場でこれを換金できたり、逆に対価を払って取得てきたりするようになる。
これではゲームを楽しむために参加しているというよりも、価値あるアイテムを取得、換金し、金銭を儲けるためにゲームをするという顧客がでてくるのは当たり前の事象になる。
ゲームの賭博化が進行しているわけで、こうなると制度的にはゲームといえるのか、賭博といえるのかかなりグレーな領域に入りかねないとみるべきだろう。

この分野でトーナメントゲームを提供しているアプリサイトがある。
不特定多数の参加者がネット上でゲームの競争をし、勝ち抜いていくわけだ。
参加費は無料で、賞品や賞金はスポンサーたるゲームデベロッパーが提供する場合が多い。
一方、参加者から参加費を徴収し、この一部を賞金の原資とするゲームもある。
無料の場合には問題ないだろうが、参加費を徴収し、これを賞金原資とする場合は(賭け金を積み上げ、勝者で分け合うという)パリミュチュエル賭博と同様の仕組みとなる。
一国の制度の在り方次第ではこれでは明らかに賭博行為になってしまう(例えば我が国ではこれは明確に賭博行為になると判断されてしまう)。
こうなるとゲームが賭博に転換してしまうことを意味する。
この様に同じゲームであっても、その提供の仕方次第では、ゲームの領域に留まったり、あるいは賭博行為とみなされたりすることが現実になる。
参加費を徴収して、開催費用や賞金をこれで充当するスキームに人気があるのは、参加者数のプールを大きくすることにより、確実に賞金が高くなるからである。
賞金が高くなることが解ると、参加者は更に増える。
確かに考え方によっては、これは賭博行為になるのかもしれないが、しっかりとした規則と監視の下でしっかりとした主催者が開催するトーナメントである限り健全性、廉潔性が損なわれることもないのではないかと思える。

競争の結果として勝者に高額の賞金がでるようになると、あらゆる手法を用い、なんとか競争に打ち勝とうとするプレーヤーがでてくるのも必然だろう。
こういう状況になるとゲームパブリッシャーの知的所有権の侵害になるようなソフトウエアも生まれてくる。
プレーヤーが対等な立場でスキルを競い合わず、プレイの能力を高めるソフトウエアが既に存在し、これを使ってインチキをするわけだ(例えば対戦型ゲームだと、隠れている相手のフィギュアを透視して見ることのできるソフトが存在し、相手の動きが確実にわかる。
こうなると確実に相手を倒すことが可能になる。
あるいは人間ではなくコンピュータに試合の運びを覚えさせて、人間の替わりに対戦させるというBots詐欺なども大手アプリに寄生する形で存在するようだ)。
事実とすればとんでもない話で、トーナメントに参加していると思いきや、相手は人間ではなく、コンピュータで必ず負ける仕組みに最初からなっていることになる。
一方、参加する顧客は本名ではなく偽名やニックネームでゲームに参加するため、人間なのか機械なのか、相手がソフトウエアで強くなっているか等を知ることはできない。
さすがに最近では大きなゲーム大会・トーナメントではオンラインではなく、会場を設営し、機材もソフトも主催者が提供し、不正を防ぎ、公平性を期す試みが実践されている。
事業者による自主規制で問題を極小化できる可能性はあるが、例えゲームでも一定の規制やルールは必要かもしれない。
あるいはこれを賭博と見做しても、より簡素化された規制と監視の下で公平性、廉潔性は確保できるのではないかとも思える。

この様に現代社会の趨勢は、ゲームはあらゆる側面で多様化し、かつ活性化し、限りなく賭博行為に近づきつつある側面が存在する。
あるいはゲームと賭博とが混然一体化し、その境界を明確にすることが難しい時代になってきたのかもしれない。
ゲームと賭博の法律上の定義も旧態依然とした昔の現実を反映する定義ではなく、新しい時代の新しい定義が求められているのだろう。

(美原 融)

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