2025-10-06
332.ゲームと賭博①:GamificationとGamblification
あまり聞きなれない造語だがGamification(事象のゲーム化)とGamblification(事象の賭博化)という言葉がある。
実はこの二つの用語はデジタルオンライン技術が発展し始めた2000年代効果から用いられ始めた現代社会における賭博やゲームを理解するためのキーワードになる。
Gamification(ゲーミフィケーション)とはゲーム自体に内在するメカニズムや手法を用いて、ゲーム外のコンテクストにこれを応用することをいう。
この目的は顧客に誘引を与えたり、顧客を惹きつけ、引き留めたりすることである。
いうなればゲームの要素をゲーム外の活動に使うことでもあり、顧客に誘引を与え、売り上げ増、費用減を期して顧客を取り込む手法ともいえる。
ゲームには、競争して勝ちたいと思う意欲を掻き立てる側面がある。
あるいは勝ち進むことにより達成感を得たり、技能や技量を上げてよりレベルアップしたゲームを目指して努力したりするという側面もある。
友達や他人等と一緒に競争しながら勝ち進む等という側面もあろう。
ゲームを勝ち進むことにより、何らかの報酬(例えばバーチャルなアイテム等)を得られることや勝ち抜き勝者のリストに名前が掲載されることも大きな誘引になる。
非ゲーム的な日常活動にゲームの要素を取り込むことは、商品を売り込み、ブランドのロイヤリテイーを高めるという意味でも有効なマーケッテイング戦略にもなりうる。
飛行機に乗ることによる航空会社のマイレージプログラムや様々なデパート、商店によるポイントプログラム等も、一定の景品・賞金・割引等を顧客に付与することで、顧客に様々な誘引を与え、顧客のロイヤリテイーを高め、売り上げ増につなげるという意味では全く類似的でゲームがもたらす内在的なメカニズムを利用し、顧客に働きかけていると判断することができる。
一方、Gamblification(ギャンブリフィケーション)とはギャンブル的な側面や性格あるいはそのメカニズムや手法をギャンブル以外の活動に取り入れることをいう。
ギャンブル的な要素を消費者の意思決定に影響を与えるツールとして用い、消費者の参加を誘引することになる。
ギャンブルとは偶然の事象により財物の得喪を争う行為なのだが、その遊び方や性格は極めてゲームに類似している。
(不特定多数の相手と)競争する、勝ち負けを予想する、勝つと報奨を取得できる、参加することの高揚感や勝った時の達成感を楽しむ等の特性はゲームと同じだろう。
異なるのは、勝ち負けは僥倖が支配的になることや、元手として現金を支出することとか、報奨として得られるものも現金になるということぐらいだ。
但し、ギャンブルも単純に金を賭け、偶然の事象によりその損得を競うということだけでは顧客を引き留めることはできない。
公営競技の面白さは単純に賭け事をするだけではなく、勝ち負けや競争の推移を予想し、現実にこれを観察し、見てその競い合いを楽しむというゲーム的な要素が加わっているから面白いのだ。
カジノのゲームであるスロットやロッテリーは僥倖の要素が100%に近いが、一定の選択肢やスキルの要素を組み込んだ賭博種は抜群に人気を集める。
カジノのゲームでも賭博ではあるのだが一部スキルの要素を取り入れたり、遊びの要素を入れたりすることで、面白さを倍増させることができるのだ。
例えば最近のスロットマシーンはゲームの途中に選択肢を増やしたり、ストーリーやちょっとしたスキルを必要とする要素が入っていたりする機械の方が人気は高い。
単純な偶然だけではなく、ゲームの要素が加わり、単純に面白いし、楽しいからだ。
その他一部戦略やスキルが確実に競争性を高めるテキサスホールデムポーカー等も極めて人気が高い。
賭博の中に如何にゲーム的な要素を組み入れることができるかで賭博行為が面白くなるともいえる。
即ち賭博行為のゲーム化(Gamification)と呼ばれる事象が増えつつあることを意味する。
但し、こうなると勝ち負けの要素は純粋に僥倖だけではないわけで、果たしてこれは賭博なのかという議論が生じてくるのは仕方がないのかもしれない。
ゲームと賭博とは極めて類似的な側面があることに留意すべきかもしれない。
もっとも賭博そのものが太古よりゲームの一種ではないのかという議論も存在する。
但し、現象としては、制度的には峻別されるゲームと賭博というこの二つの異なる事象がお互いに、お互いの領域を浸食してきていることは事実だ。
これら二つの要素を組み合わせると更なる相乗効果が生まれることも知られている。
例えば、ゲームにギャンブル的要素を加えると顧客にとり、大きな誘引となる(ゲームの賭博化)。
一方、ギャンブルにゲーム的要素を加えるとギャンブルの楽しさが増し、売り上げも増すことになる(ギャンブルのゲーム化)。
デジタル化やモバイル技術の進化やビデオゲーム等のデジタルエンターテイメントの発展はこれを限りなく加速化させているという側面もある。
この様にゲームと賭博の領域が限りなくその境目が曖昧になってきているのが現代社会の実態でもある。
これをどう評価すべきかに関しては、議論が解れるところだ。
何が賭博で何が賭博ではないのかは、法律上は極めて大きな違いになってしまう。
もっとも「賭博」や「ゲーム」の過去の法的な定義も今や説明がつきにくいという状況も生まれている。
昔の法的な考え方のみでは、現代社会の技術的進展を説明できないのだ。
現実世界はかかる制度議論とは関係なく、賭博とゲームの双方に跨りうる様々な遊び方が提供されつつある。
賭博とは現代社会において如何なる位置づけになるのかを昔の論理ではなく、現代社会の論理で考えるべき時代にきているのかもしれない。
(美原 融)