2024-09-09
277.賭博依存症⑦ 治療的司法(収監より治療)
罪状が暴力的犯罪や重罪ではなく、その背景に依存症があると判断される場合、裁判所が判決を下す前に個別の事情を斟酌し、単純な刑の執行(収監)ではなく、代替的なプログラム(Diversion Program)を被告に課す裁量権を裁判官に付与する枠組みが米国には存在する。
かかる手法・考え方を問題解決型司法/法廷(Problem Solving Court)という。
米国では1960年代に生まれた考え方でもあり、例えば凶悪犯罪や暴力沙汰ではない窃盗、いかさま等の犯罪の理由の一つに麻薬中毒が絡んでいる場合、刑務所に収監するよりも、裁判所の監督の下に麻薬中毒の治療プログラムを一定期間強制的に受けさせることで、刑の執行を猶予し、代替させるわけである。
刑務所に収監しただけでは薬物中毒から立ち直れるわけが無く、出所後再度薬物に手を出すということもままある。
代替的なプログラムは中毒症状を確実に治癒させるという目的があり、更生の可能性が高まること、再犯の確率も減少し、行政の費用負担も少なくなるというメリットがある。
単純に刑罰を課すよりも、根源となる問題を解決することが社会的にも得策ということだ。
特別裁判所(Specialty Court)、あるいは治療的司法(Therapeutic Justice)とか治療裁判所(Therapy Court)等とも呼称されることがあるが、この手法は薬物のみならず、家庭内暴力、青少年犯罪、賭博依存症、退役軍人犯罪等何らかの精神的健康上の問題や依存症状等が犯罪の一因である場合、有効な手法になりうると考えられている。
もっとも単純でないのはこの手法は裁判所の裁判官だけで実践できるものではないことだ。
被告がかかるプログラムに適格か否かは専門的なカウンセラー、医師等による評価が必要になる。
また如何なる内容のプログラムとするかにも専門家の助言と参画、継続的なカウンセリングやモニタリングが必要になるが、その内容は被告の固有の事情によっても異なってくる。
米国では薬物に関しては薬物裁判所(Drug Court)としてこれが機能しており、現在では全米で3000ケ所以上の薬物裁判所が存在し、慣行・制度として定着している。
賭博依存症に関しても同様な仕組みができるのではないかとして2001年ニューヨーク州エリー郡アムファースト町で賭博法廷(Gambling Court)が試行的に始められたのが米国における最初の賭博依存症の治療的司法の事例になる。
2009年にはネバダ州で賭博治療代替法廷(Gambling Treatment Diversion Court GTDC)が制度として規定されたが(NRS Chapter 458A Prevention & Treatment of Problem Gambling)、実際の賭博治療代替法廷(GTDC)がネバダ州に開設されたのは何と10年後の2018年であった。
これは制度としてはかなり複雑な仕組みとなったため、裁判官としても対応できにくく、実務手続きも周知されていなかったからという背景があったといわれている。
かつ依存症をかたらって刑の執行を逃れる等乱用のリスクへの疑心があったとともに、被告にとってもハードルが高かったこと(例えば金銭的窃盗等の場合、被害者への返済義務確約や治療プログラムの全費用の負担義務)等の理由もあげられている。
無料ではないのだ。
このプログラムの実践は裁判官にしっかりとした意思・意欲があり、様々な利害関係者(カウンセラー、医師、臨床医、NPO、地域社会)と調整・協力連携できることが全ての前提になる。
これでは、誰もができる仕組みとはならない。
ネバダ州ではクラーク郡の意欲的な裁判官により2018年に初めて賭博治療代替法廷が設立され、機能しているが、これ以外の事例はない。
薬物依存は生理的・肉体的な依存であり、症状の判断や治癒の在り方等はある程度確立した考えが定着しており、治療的司法が効果的なことが様々な事例により立証されていることが、薬物法廷が全米で支持された理由だ。
一方賭博依存はプロセス依存ともいわれ、内面的・精神的な障害がその理由でもあり、そもそも極めて判定しがたく、その評価も難しいという事情がある。
ネバダ州では適格となる条件とは、初犯、暴力的な犯罪(性犯罪、幼児犯罪等)の対象ではないこと、一定の義務と条件に合意すること、更生・社会復帰への意思と意欲があること等になる。
対象期間は12~18ケ月、最長36ケ月、強力な監視とモニタリングの体制が取られ、GPS端末を装着させ24時間行動監視の対象になるとともに、完璧な財務情報開示や進捗確認のために毎週裁判所への出頭が義務づけられる。
勿論賭博依存専門カウンセラーによる精神健康カウンセリングや社会復帰訓練・教育、自助団体・NPOとの会合も定期的に実施され、治療、モニタリング、ガイダンス、支援のすべての介入を裁判所の監督下で実施するわけだ。
刑の執行を裁判所が留保しながら、依存症の治癒を優先し、社会復帰を促すのだが、義務違反の場合には収監もありうる前提になる。
その他の州の実践としてはワシントン州では2011年以降薬物法廷プログラムの枠組みを準用する形で賭博依存症法廷プログラムを始めている。
ルイジアナ州、ロードアイランド州、ミシガン州、ニュージャージー州でも試行的な実践はなされているが、未だ広範囲に普及しているという状態ではない。
面白い試みなのだが、その実践は単純ではないということに尽きる。
では我が国ではかかる手法の可能性はあるのだろうか。
残念乍らこれはない。
賭博法廷の考え方は裁判所による保護観察付きの執行猶予でもなければ、検察官による起訴猶予でもない。
裁判所は有罪無罪の判決を下す国の機関として構成され、裁判所自身が被告人の更生に責任を担い、更生に介入する権限も能力も無い。
我が国では刑の宣告と更生計画の策定・更生の実践は別の枠組みになり、後者は法務省(矯正局)が担う。
ここには裁判所自身が刑の判決を留保し、様々な介入により賭博依存症を治癒することで更生を期することを監督するという考えはない。
残念乍ら、我が国の司法制度は問題解決型の仕組みではないということになる。
(美原 融)