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2024-08-26

275.賭博依存症⑤ 依存症とはどんな病気?

賭博依存症とは病気、誰でもかかる病気、貴方もリスクはある等といわれると誰でも怖がってしまうかもしれない。
病気と言われればそうなのであろうが、でもよく解らない「病気」であることは間違いない。
インフルエンザやCovid 19の様に注意はしていても、健全な人がなぜか罹患してしまう病気として賭博依存症を把握することは間違っている。
これは他人にうつってしまうような病気ではない。
個々人の内面的、精神的な側面から生じる病理だからだ。
かつ誰もがなる可能性はあるとはいえ、必ずしも誰もがなるわけではない。
殆どの人には関係ないのだが、様々な事情や環境等を起因として、一部の人はかかってしまうかもしれないというところだろう。
医学的には米国精神学会は2022年に公表した診断基準(DSM-5-TR)に症例が当てはまる場合、ギャンブル障害(Gambling Disorder)として疾病の範疇に入ることを定義している。
尚、物事にのめりこんでしまうことは普通の人間なら誰でもおこりうる事象であり、のめりこみ自体が悪いということではない。
朝から晩まで時間があればスマフォを見ている人は何処にでもいるが、これが依存症、病気であるとは誰も思うまい。
のめりこみが病的に過度となり、個人や家族、社会にとり危害をもたらすような状態になったときは、これはあきらかに病気といえるのだが、上述の診断基準も必ずしも絶対的ではない一つの指標・判断基準でしかないことを理解すべきだろう。

通常の病気ならば、原因を特定でき、これを治療する方法と薬品がある。
この関係は賭博依存症にはあてはまらない。
麻薬や覚せい剤等の薬物依存症は特定の物質を体内に取り入れる行為から抜けられなくなる症例でもあり、物質依存(Substance dependence)ともいわれている。
これは原因と結果(症状)の関連性が解りやすい。
一方賭博依存症の場合には、一定の行動(プロセス)にはまってしまい、これを何回も繰り返す症例になり、プロセス依存あるいは行動嗜癖(Behavioral Addiction)ともいわれている。
これは一種の精神疾患として医学的には認知されているのだが、何が理由でかかる症例が起こるのかに関しては、必ずしも解っていない。
薬物依存の場合には、物理的に薬物接種から遠ざけることが治療の基本になる。
一方、プロセス依存の場合には、治癒するための効果的な薬があるわけでもなく、治療法も確たるものが解っているわけでもない。
カウンセリングや認知行動療法等の手法により、できる限り賭博行為から遠ざけるとともに、試行錯誤的に、かつ段階的に対象者の精神を癒す手法等が用いられてはいる。
完治する可能性も高いが、これで全てを解決できるわけでもないし、どの程度の時間がかかるのかも個人差があり、よくわからない。
ややこしいのは、何らかの原因をトリガーとして、なぜだか解らないが、自然に治癒できてしまう主体も結構いることだ。
賭博依存症とは明らかに精神の病であることは間違いない。
但しその理由も、治癒の手法も必ずしも完璧に解明されていないということが賭博依存症の実態でもある。
だからこそ一般的には理解できにくい疾病になる。
依存症は「病気」という一つの言葉で切り捨てるのはあまりにも短絡すぎる。
これでは普通の人には理解できなくなってしまう可能性が高い。

賭博依存症は現実に今でも存在する社会的病理なのだが、社会的注目も政治的・政策的関心も実に弱い。
殆どの国民は関係ないと思ってしまっているし、実態も現実の対応策も知られていない。
但し、新しい賭博種を制度として認める議論がなされる場合は将来の社会的リスクを増大しかねないとする反対の論拠に依存症が用いられたリ、著名人の何らかの不祥事が賭博に関わり、その原因が賭博依存にあると想定される場合には、依存症は一挙に過熱した新聞報道の話題となる。
社会的不安を増長しかねないリスクに関する話題はマスコミにとっては読者を惹きつける格好の材料なのだ。
賭博という倫理的課題を指摘されかねないテーマとそれがもたらす依存症という危害は、社会的正義という観点から、読者の興味を惹きつける解りやすいテーマになる。
詳細な説明もなく、単に実態が解り難い、誰もがかかるかもしれない病気という新聞報道だけでは恐怖だけを募る内容となりかねない。
もっとも不祥事は新聞にのるのだが、現実に存在する依存症の問題やその対応策等は面白くもないためあまり記事にはならないし、話題になってもすぐ忘れ去れてしまうのが実態だ。
掲載される記事の中には、賭博等を認めるから様々な不祥事が起こる、大阪にカジノができれば水原事案と同じことが起こる、よって対応策が未熟なままでカジノ等認めてよいのかという具合だ。
ロジックは正確とはいえず、今如何なる対策がなされているのかを説明し、その実効性を問い、あるべき対応策を論じるなら解る。
よく解らないが、悪そうなものはだめというかなり乱暴な議論になっている。
こうなるとIR反対のために無理やり依存症に対する恐怖を持ち出してきたのではないかと疑いたくなる。
将来のことを批判するのではなく、今ある課題をどう解決するのかを論じることの方がより重要であることは明らかだからだ。

尚、現状の賭博依存症となっている対象者の過半は遊技(パチンコ)へののめりこみがその主要な理由になっている。
これは単純に全国津々浦々に世界最大規模の賭博類似機械が設置され、誰もが何時でもアクセスできるという背景があることによる。
実態は、主務官庁は賭博依存症への対応を強く主張してはいるが、現実の対応を担うべき民間の施行者は複数の業界団体に分かれ、内部的な意思の疎通も十分ではなく、しっかりした対応がなされているとは到底判断できない。
より積極的な対策や依存症患者の救済を政策として実践すべきなのだが、対策の実施に必要となる人、モノ、カネ等の資源やこれを効果的に動かす施策が実践されているとも思えないのが実態だ。

(美原 融)

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